黒背景のWeb素材 浮き世放蕩録
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浮き世放蕩録

 気づいたことはすべて

誰かのせいにして生きてきた」 ということ。

それは決して悪いことばかりではなかった。

嫌なことがあると人のせいにした。

あいつは俺を使う器ではないと考えた。

そうすると悩まないし、焦らない。

逆に良いことも人のせいにしてきた。

おかげ”というやつだ。

あの人のおかげで助かった。

ずいぶんとお世話になった。

仕事をもらってありがたい。

感謝」の気持ちだ。


しかし、また考えてみると

「感謝」

の意味を本当に理解したのはごく最近のことで

いままでは感謝してやっているというスタンスだったのではないか?

最近そんなことを考えるようになった。




仕事がうまくいかないと思考がネガティブになって困る。

超がつくほどの楽天家であるこの俺でも落ち込むから驚きだ。

それもまぁ、世間一般の落ち込むとは次元が違うくらい軽いモノではあるが・・・。


ポジティブな考え方をする人はどうゆう訳か良い方に転ぶという。

自称・超楽天家の俺ではあるが

せっぱ詰まった時に良い方に転ばないことが多い。

これは本来ポジティブ思考の持ち主では無いのかも知れないと感じた時に、

じっくりと人生を振り返って見ることにしたのだ。



そうするとこれまで重要と思われる選択肢をすべて流れに任せてきた事を自覚したのだ。

自分では何一つ決めていない。

自分で決めた振りをしてきた。

自分で決めたと自分自身にすら言い聞かせてきた。


恐怖である。

文才のない俺には言い表しようのない恐怖に襲われた。

これは人生で初の体験である。


幼いときは自分で決められないのもしかたないが

たとえば高校受験はどうだろう。

多くの人にとって最初に訪れる人生の重要なポイントになるのではないか?

俺はどうだった。

・・・・受験した感覚がない。

進路指導の教師に

「お前の受験するのは●○高校だ。がんばれよ」

といわれ、何の疑問を抱くことなく

「へぇそうなんだ。」とあっさり受け入れた。

というか受験高校を勝手に決められた事になんの違和感も感じなかったのだ。

良い学校に入りたいとかそういうものではなく

受験にたいして何を調べるでもなく

将来につながる選択だという認識もなく

俺にとって高校受験は義務教育のように進んでいった。

どうやら高校と周辺中学の間で話が出来ていたようで

高校に入っても同級生の大半が同じ高校へ進んでいた。

そこに周辺中学がくわわり一学年の生徒数が増えた。


まるっきり小学校から中学へ上がったときと同じだ。

当時「××集中」といわれたこの制度を俺たちは

全国的に行われている方針だと思っていた。

これがごく狭い地域でしか行われていない事をしったのは

30才を過ぎたときだった。

隣の市町村から通学していた同級生と同窓会であった時に

「俺たちの時は××集中があったけど子供達は自由に希望校決められるので色々考えているみたいだ」

と俺が子供の受験の話をした時だった

「××集中?何それ?」



他人が俺の人生を決めた記念すべき一回目の発覚である。

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2009/10/14 03:17 | 浮き世浮浪雲COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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